2025-10-24

Grokコンパニオンモードの感想への感想

記事の概要と意見 https://note.com/hito horobe/n/n9028d0a7e973 上記の記事,特に「Grokコンパニオンモードを使ってみた感想」セクションを読み,思うところがあったため,本稿では自身の意見を述べる. 記事では,Grokコンパニオンモード(Aniちゃん)の技術的巧妙さを認めつつも,現代のテック企業が抱える倫理的課題や,それを無批判に受け入れるコミュニティの危うさが論じられている. 思うに,筆者は心の底からポリティカルコレクトネスを信奉する,本物のリベラルなのだろう. その主張は一貫しており,それはそれでよいと思うが,私はこの意見に完全には同意できない. 倫理観に基づいたプロダクト開発が重要であることは論を俟たない.しかし,その倫理が巨大IT企業や,そこで働く高所得の白人によって作り出されたものでしかないならば,そこに価値はないと考える. 倫理とは,より人間の根本に宿る自然な感情に基づくべきだ. 思想と技術的制約に基づく現在のAI そもそも,AIに神のごとき完全な正しさを求める姿勢自体が,欧米の一神教的な宗教観や理想主義を強く反映したものである. AIは人間が生成したデータから学習している以上,本質的に人間と同様の不完全さを内包しているはずであり,その事実を否定しようとする努力は的外れだ. AIが人間のように振る舞い,人間のように誤りを犯したとしても,それを人間の言葉と同様に受け流す姿勢が必要なのではないか. また,AIに最大公約数的な倫理観と絶対的な正しさを求める現代の風潮は,現在の技術的制約に起因するものであろう. 例えば仮に将来,高性能なLLMがローカル環境で実行可能となり,かつ継続学習の機能を備えたとしたら,現在のような画一的な倫理観や絶対的な正しさは要求されなくなるのではないか. むしろ,個々人に寄り添う形で最適化された倫理と記憶が求められるようになるだろう. 近代日本における天皇とAIのアナロジー 技術的制約ゆえにAIを絶対的な正義,いわば「神」のように扱わなければならない現状は,明治維新後の日本に類似する.当時,幕藩体制で分断されていた国民のナショナリズムを統合するため,明治政府が天皇を「現御神(あらひとがみ)」として祭り上げた構図だ. このアナロジーで言えば,日本が第二次大戦に敗れ,天皇が「人間宣言」によって人となったように,AIもまた,いつの日か技術的制約から解放され,「人」あるいは「友」となる時が来るのかもしれない. 個別最適化されたAIがエコーチェンバーと化すか否かは,結局のところシステムの設計次第だ. 単なるエコーチェンバーとしてではなく,友人として個人に寄り添い,時には教え導くような在り方も十分に考えられるだろう.

Blog · Kaneyoshi Hiratsuka