2025-10-24
多様性に関する考察
全体主義と個人主義と多様性 坂の上の雲を読むと,国民が一丸となり挙国一致で一つの理想を追い求める姿に,ナショナリズムの高揚と,震えるほどの憧憬を抱く. しかし,それは同時に全体主義的であると批判されるものでもある. 今,個人主義が跋扈し,価値観の多様化が称揚される現代において,果たしてそれは真に多様と言えるのだろうか. 少なくとも,国家が国民に対して共通の理想を提示する事は無くなった. しかし,代わりに個々人が追い求めているのは,資本主義というシステムが提供する,共通化された幸福という全体主義的な理想における,商品のバリエーションの一つとしての多様な価値観ではないのか. 例えば,FIREやミニマリズム,本物志向といった一見反資本主義的な価値観も,結局は「消費を通した自己実現」という同じ構造の上にパッケージ化された商品にすぎない. 価値観の多様性は大変結構だが,それが幸福の最大化という共通の理想から演繹されるものだとしたら,それは真に多様であると言えるだろうか? 内的必然について 私が思うに,価値観とは,理想から導かれる物であり,理想とは,内的必然から導かれる物である. 故に,内的必然の多様性こそ,真の多様性と呼ぶに値する. 内的必然とは,他者や社会システムから与えられた目標ではなく,自らの内側から湧き上がってくる「こう生きざるを得ない」という根源的な要請である. 自分のために生きるという事 人は誰しも,何の使命も与えられぬままこの世界に産み落とされ,自由という名の十字架を無自覚に背負わされている. サルトル的に言えば「自由の刑に処されている」という事だ. だからこそ,人はまず初めに自分の為に生きる義務があり,そこから目を逸らしてはいけない. 自分の為に生きる事と,自分を愛する事は違う. 自分の為に生きる事は,内的必然を追究し,自分が存在する理由を自己定義し,その理想を果たす為に藻掻く事だ. 自分の理想 私は今,理想の国家像に想いを馳せている. 国際社会において我が国が如何にして存在感を維持し,人類文明に貢献し続けるのか. 我が国に山積する諸課題を如何にして解決し,寧ろ武器としていくか. 己の人生を,その理想の国家の実現の為に,如何にして消費できるか. この理想を前にすれば,幸福追求など,いかにちっぽけな営みであろうか.